ギアが壊れた
「最高度のメンテナンスなしには生存できなくなったとしても、文句を言う筋合いじゃないわ」
とサイボーグなメイジャー草薙素子様はボートの上でおっしゃられておりましたが、私の足首を固定するギアが壊れました。
柔軟性に富むプラスティックの外装なのですが、応力集中と素材疲労の限界か、バキっっ、と逝かれてしまわれました。うが、これ3.5万もすんのに。うががが。今月も貧乏か。
と思ってコンビニに行こうと思ったのだが、家から出られない。
ピンチである。家の中くらいならまだ問題ない。しかし、外へ出るとなると大問題である。50メートル歩くのに余裕で10分かかる。最高度とはいわんでもメンテくらいしておくべきだったのか。しかしたかがプラスティックの外骨格。どうメンテしろと。やばい。AVの延滞が。昼飯が。買い物の予定が。しかしやはりAVの延滞が。小倉ありすが。何を言ってるんだ俺は。
しかし、「こんなこともあろうかと」と岸和田博士もおっしゃられておりますように、サブのギアを作っておいてよかった。というわけで長い間放置していた予備の外装を付けておでかけ。しかし、なんだかしっくりこない。歩きにくい。まあ新しい靴みたいなもの、付け始めはなじまないのだろう、と帰宅したら。靴下に赤いシミが。
痛覚がないとこういうとき困る。
実際、痛みのない部分は扱いがズサンになる。脚の小指を角にぶつけると、普通の人間はそりゃ苦痛にひいひいいうものだろうが、こと私の右足に関してはぶつけまくりなのだ。痛くないのでそんなことが気にならなくなり、向こうずねから小指からトゥーハートといってもマルチではなくToo Hurtな部分をぶっつけまくりなのだ。トレント・レズナー様いわく、「I hurt myself today(今日、自分を傷つけてみた)」。俺も傷つけてみたんだがぜんぜん痛くない。
それはともかく、靴擦れの親玉みたいなズル向けだ。まいった。とりあえず消毒してバンドエイドを貼っておくが、皮膚がなく肉が露出するほどのズル向けにこんなんでいいのだろうか。ダークマンも日常生活はズサンに違いない。
ファミコン 20th アニバーサリー オリジナルサウンド・トラックス VOL.3ASIN: B0001N1KZU
ダババで決定。
3枚全部買う金はなかったので、どれにすんべか、とラインナップを見たら、迷う余地はなかった。ダババ、ザナック、ドラキュラ、のラインナップですでに最強に近い。それに加えてソロモンの鍵とマイティボンジャックがあるとなれば、オールオッケーだ。
懐かしい、という言葉はしかし、なんだかこの曲たちを貶める気もする。いま聴いてみて、なんでファミコンの音楽は、あんなに突っ走っているのだろう、と思った。何が、というと、メロディーが、だ。
立ち止まったら死んでしまう、そんな切迫した想いとともに、PSGのメロディーが繰り出されてゆく。メロディー、メロディー、メロディー。そこにあるのは、メロディーのたえまない連なりたちだ。間を作ることはできない、それはファミコンの音楽にとって死を意味する、そんな声が聞こえてきそうなほどに、このCDにおさめられた曲たちはひたすら音符のつらなりとして走り続ける。それが、PSGのひたすら重い低音とともに、このCDに異様な迫力を与えている。
もちろん、PSGという音源の貧弱さで、豊かな間をつくるような曲はできなかった、という見方もあるだろうし、おそらくそれは正しいのだろう。けれど、その制約がもたらしたメロディーへの貪欲さ、この迫力を、いまのゲーム音楽は持ち得ているだろうか。「ふつうのおんがく」になってしまった今のゲーム音楽は。
止まるな、鳴らせ、鳴らし続けろ。
ファミコンは、そしてPSGは今も叫び続ける。
とはいえ
1ループしか入っていないのは納得いかーん。ファミコンの曲は2ループ以上あってなんぼのもんだろうがああああ。ザナックは少なくとも3ループは必要だ。まったくプンスカ。
2004年4月26日 伊藤計劃
引用:http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/200404