伊藤計劃記録 はてな版

『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』の劇場アニメ化を記念して、伊藤計劃氏の生前のブログから精選記事を抜粋公開します。

And all that could have been.

アキバに行って、ラジオ会館の輸入DVD屋Saleに行き、押井がコメンタリーを新録したというUS盤の「ビューティフル・ドリーマー」を予約する。それから、いろいろと物色したあと、となりの御茶ノ水に行き、洋麺屋でたらこカルボナーラを食べる。

そして聖橋を渡れば、そこには医科歯科大の神田川に壁面を成す建築が在り、そこにはCTが待っている。ウィィン、と駆動音がシャープに唸り、人間を計測し数値化し仮想身体を汲み上げんとする欲望が産んだデウス・エクス・マキナがぼくのからだを輪切りにする。最近見た、医療被曝による癌罹患率の上昇を報じるニュースが、ちらりとあたまをよぎる。

あっさりしたものだ。フィルムが焼き上がるまでの20分、ぼくは待ち合い室で寝ている。ヘッドフォンからはNINの「And All That Could Have Been」が流れてくる。and all that could have been.そしてそうなるはずだったすべてのもの。やってこなかった未来。そうはならなかった人生。

そしてフィルムを受け取り、整形外来に行く。主治医の先生はそれを見て、何かを告げる。半年に一度、ぼくはこの一言、このオラクルを受け取りにここへ足を運ぶ。昨日一昨日は眠れなかった。ひどいもんだ。臆病な自分に腹が立つが、どうしようもないことだ。

「大丈夫ですね。とりたてて腫瘍の影はみられません」

五年生存率、ということば。それ自体に意味はない。あくまで確率の話だ。六年後、十年後に転位が見つからないとは言い切れない。とはいえ、もう三年目。半分は越したわけだ。

いろいろなことを思う。医者に自分の大腿の中に巣食うものの存在を告げられたときのこと。あのとき感じた絶望。そんな絶望も恐怖も悲しみもあっさり吹き飛ばしてしまった安定剤のこと。その化学作用によって感情が吹き飛んだときの奇妙な怒り。病院内から手持ちのノートをネットに繋いだこと。友人がエロゲーを持ってきてノートにインストールしてくれたこと。リハビリ。退院して、家に帰ってきたとき玄関から飛び出してきた、愛犬のぬくもり。お見舞いにきてくれた「尊敬する」人たち。病院で書いた原稿のこと。退院したあと、誰にもわからない理由で彼岸に渡ることを選んだサークルの後輩のこと。彼女の入った棺の小ささが意外だったこと。彼女から預かった同人誌の原稿が、データクラッシュで読めなかったこと。

そして、いま、愛犬は彼岸にいる。あのとき、生きて帰ってきたぼくを抱き締めた温もりは、ペットたちの共同墓地にいて、そこへぼくは墓参りに行き、あふれる思いを、残された者たちが抱えるには多すぎて溢れてしまう情念を、墓にすくいとってもらい、身軽になって家に帰る。

そして今日も、家に帰ってきた。今週は「下妻物語」を見ようかな、と思いながら、レンタルで「サブマリン707」と「プラネテス」と「私家版」を借り、その下に在る本屋で「スチームボーイ」の映像DVDがついた「ニュータイプ」を買って家に帰る。

And All Could Have Been.足が普通に動いたら、どんな人生だったのだろうか。あの女の子が彼岸に渡らなければ、愛犬が癌で逝かなければ。それを想像することは不可能だし、実際、あんまりいまと変わらない気もする。クローネンバーグだ、養老だ、身体だ、サイボーグだ、とか言っていたら、ほんとうにそういう人生を生きる羽目になってしまったことを、幸運とは思わないまでも、何かの符合であるぐらいには考えてもいいのかもしれない。

さて、「プラネテス」見るか。

2004年6月10日 伊藤計劃
引用:http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/200406