読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

伊藤計劃記録 はてな版

『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』の劇場アニメ化を記念して、伊藤計劃氏の生前のブログから精選記事を抜粋公開します。

もののけ姫

もののけ姫

 DVDは持っているのだけれど、前述の理由で会社から出る2300時までだらだらと観ていた。

 宮崎作品でこれがいちばん好きだ。傑作だと思う。

トトロ」はあまり好きではない。というか嫌いだ。ああいう風景は小岩で生まれて江戸川を眺めて育ち、千葉北西部のスプロール、東京に通う会社人が寝るために買った新興住宅地で育った自分には、憧れようがないあらかじめ喪われた風景だからだ。あの映画に出てくる背景の、物語の、どこにも自分は惹かれようがないし、それに惹かれることがあたかも「正しい」と言われているような映画のたたずまいには正直「貴様に憧れの対象を指し示される謂れはない」と文句のひとつも言いたくなる。

 ナウシカ、は今見るとたまらないやるせなさを憶える(だからこそ漫画の方は映画やらかしたことを周到に回避し、回避はしたものの逡巡しまくり、だからこそ傑作になったのだけど)。大ババ様の「なんといういたわりと友愛じゃ」なんていう台詞はとてもじゃないけど聞いていられない。恥ずかしいのではない。陳腐なのではない。やるせないのだ。自分でも嘘だと解っているその言葉を、しかし観客に「終りの言葉」として「しれっと」言わなければならない、そんな嘘がたまらなく辛いのだ。そのやるせなさは耳を塞ぎたくなるほどで、正気の人間が真顔で画面と正対しながら聞ける台詞ではない。

 とかまあいろいろある。かといって世間に背を向けた(としか思えない)「カリ城」を傑作と言う気にはとてもならない。

もののけ姫」はそんな宮崎作品の中にあって、唯一宮崎駿がヤバいところまで行った「狂気」に限り無く近いものが、ある種の逡巡と傲慢さが同居した結果落とし所がまったく不明なまま物語が暴走する、「手に汗握る絶望」が全編を覆っている凄い作品だと思う。会社で一緒に話していた人は、漫画のナウシカを映画にしたらこんなふうになるんじゃないか、と言っていた。

 宮崎駿が唯一、絶望をはっきりと指し示した作品。宮崎駿が真摯であろうとした結果、まったく答えを指し示せないまま終わらせてしまった作品。この映画と「紅の豚」が、ぼくは宮崎作品の中でいちばん好きだ。

 これを見ると、エヴァって物凄い勢いで古びているのがわかる。劇エヴァを観ているあいだ、ずっと感じていた退屈さ。見え見えの落とし所に、すべてがきれいに収まっていく退屈さ。映画はこんな退屈さをフィルムに焼きつけるものではなかったはずだ。少なくとも、その種の退屈さは「もののけ」にはなかった。今ならわかる。なぜエヴァが退屈だったか。それは「常識」を延々と2時間かけて説教されただけだったからだ。一方、もののけが退屈でなかったのは、それが全然説教になっていなかったからだ。

 たぶんエヴァ悲劇エヴァの弱さというのは、は巨大綾波を観て「うははは、でかすぎだろそれ!」と笑ってくれる観客があまりにも少なかったことにあるのじゃないか。あれが公開された夏を思い出すに、そんな気がする。

2004年11月20日 伊藤計劃

引用:http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/200411