伊藤計劃記録 はてな版

『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』の劇場アニメ化を記念して、伊藤計劃氏の生前のブログから精選記事を抜粋公開します。

おもしろい顔の人

ヒトラー 最後の12日間

 とにかくゲッベルスが立ちすぎ。顔とか顔とか顔とか。本物のゲッベルスの写真はふつうに整った顔で、こんなに異様ではない。見ているあいだこの役者なんなんだ、と思いながらずっと楽しかった。「マインフューラーがね、マインフューラーがね、わたしに避難しろって言うの!・・・信じらんない、こんなに好きなのに」とか言って泣き出すところとかはもう少女だったら完全な萌えキャラだ。だが少女じゃなくとにかく異様な造型のおっさん(というか年齢を超越した顔)なんで面白すぎる方向に暴走する。日本だったらさしずめ竹中直人が演じていただろうし、パトレイバーだったらまんま陸幕2部の荒川があんな顔だ。奥さんが子供をひとりひとり毒殺していく場面は本当に陰鬱で嫌になるのだけど、奥さんが子供の寝室で仕事をしているあいだ、部屋の外に所在なげに立っているゲッベルスがまたダメキャラで救われる。ていうかパト2実写にしたら荒川の中身はゲッベルスの人で宜しく。そんなインパクト大の顔が、あの制服の色とあいまって大本営のいいツラしたオヤジどものなかでものすごく浮いていて、これだけでゲッベルスかなり勝利している。さすが宣伝相。

 ブルーノ・ガンツは巧いけれど、まあ、想定範囲内。巧すぎるゆえに割を喰った感じ。観客の先入観の再現度という点では完璧な仕事だと思うし、そのうえ想定範囲を外れると問題のある人物でもあるので、仕方ない。そのぶんゲッベルスが逸脱しすぎて凄すぎる。

 防空壕ライフは意外と広いんだな、と思った。いつかは尽きる食糧供給も、この映画に関してはストックたっぷりある感じ。正直、意外と楽しそうだと思った。この映画の防空壕ライフの雰囲気を見て何を連想したかと言うと、実は不謹慎にも「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」だったりする。皆終りの予感を感じつつテンパりまくってはいるのだが、そのおわりはじりじりと近づくばかりでいつになるんだべや、という感じ。そんな状態で迷宮っぽい閉鎖空間でわらわらテンパる個たちの姿は、敗北という文化祭を前にした準備の狂騒にも似て、「死」の予感に彩られながらも、いや、それゆえかものすごく楽しそうだ。

 ゲッベルスの奥さんは「ナチのない世界なんて無よ」「ナチのない世界で子供を育てたくない」という。つまり、ドイツの敗北は「世界の終り」なのだ。美しいものの終焉。内部的な視点に立ったとき、この防空壕ライフの実感はものすごく核戦争シェルター映画に似てる。この防空壕の外ではセカイが終わりつつある。そして、自分達は「最後の人間」としてここで自決するか、朽ちていくのだ、という。

 もちろんセカイはおわらない。という感じで、防空壕の外、ベルリンではSSたちが粛正粛正また粛正。防衛戦の兵士たちは無惨に死んでゆく。その地獄絵図を「現場」だとするなら、ある意味貴族的に「セカイのオワリ」を防空壕で実感する者たちは、「ビューティフル・ドリーマー」がそうだったように、ぶっちゃけモラトリアムを満喫しているのだ。あの防空壕は、モラトリアムの物語だ。そしてまた「ビューティフル・ドリーマー」と同じく、そのモラトリアムの終焉を予感する者たちの物語でもある。ハレはいつか終わるのだ。

・あとシュペーアがえらい男前なんでびっくりした。あの状況でスーツだし。

・演劇化したら(日本人がドイツ人を平然と演じる状況というのはいまのところ演劇でしかあり得ないので)ヒムラーは奥田瑛二にやってもらいたい

・ブルーノ・ガンツ以外に一発でわかった役者はフェーゲラインのトーマス・クレッチマン(ゴッド・ディーバのニコポルとか、バイオハザード2の悪役と、戦場のピアニストの大尉とか)だけ

・最後に入る現実パートが「シンドラー~」みたいだ

2005年8月9日 伊藤計劃

引用:http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/200508