伊藤計劃記録 はてな版

『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』の劇場アニメ化を記念して、伊藤計劃氏の生前のブログから精選記事を抜粋公開します。

音色からぼくは逃れられない

観てきたよ

 いや、昨日の日記は別にほんとうにああいう夢を観ただけなので、北村ゴジラに対する悪意とかそういうもんではないわけです。大体あの時点で観てない映画に嫌みも何もありゃしません。

 というわけで、意を決して観てきましたよゴジラ。ゴジラ FINAL WARS。
 予習に「ゴジラ対ガイガン」のDVDを観たんですが、これが壮絶にコストパフォーマンスの高い映画で、今じゃ絶対考えられないいい加減さに満ち満ちているわけです。なんたって凄いのは、メーサー車や都市破壊の場面などで、過去の怪獣映画のショットをアニメのバンクのごとく使い回し使い回しさらに使い回す壮絶な節約。さらに怪獣がフキダシで喋るんですよこれが。親分のゴジラが「いそげよ!」「すぐ ていさつに ゆけ」というと子分のアンギラスが「OK!」と返すフキダシ会話。まあ、これとは別にゴジラのシェーとか空を飛ぶとかもゴジラの歴史にはあるわけで、「本物の怪獣映画」というとき僕らの世代は「本物って、どれが本物なの?」という疑問にかられるわけです。

 第一作目はいまでこそ原水爆の業を背負った日本代表モンスターのように誇らしげに語られていますが、唐沢翁などはゴジラを指して、54年3月の第五福竜丸事件の騒ぎをアテこんで速攻で製作され公開された王道キワモノ映画としてとらえるべき、と言っておりました(「怪体新書」だっけか)。

 ゴジラの姿、というのは長い歴史の中で恐怖の対象から子供のアイドルへと変化してきたわけです。「ゴジラ対ガイガン」に収められた樋口真嗣コメンタリーでは、この映画(というか東宝チャンピオンまつり)をリアルタイムな子供として経験してきた視点から「ガイガン」が語られているわけですが、最初から樋口さんの世代にとってのゴジラっていうのは、最初からフキダシがあったりシェーしたり怪獣島に怪獣がたくさん住んでたりする世界だったわけで、子供はまさかそんな業を背負った怪獣だなんて知りませんから、オールドファンの子供騙しだのふざけ過ぎだのそういう批難が(当時は)理解できなかった、と語っておりました。

 この「FINAL WARS」を観て感じたのは、そんないい加減でデタラメでユルい設定だった時期のゴジラ映画のテイスト、楽しいから怪獣たくさん出そう、サッカーとかやらせよう、みたいなゴッタ煮娯楽テイスト、オールオッケーなムードの怪獣映画でした。北村龍平の暴走が、奇妙にあの時期のゴジラ映画の雑多な感じとシンクロしたというか。だから「怪獣映画としてどうか」という意見はなんだか読んでて気持ちが悪いのです。「怪獣映画って何だ?どの時期の怪獣映画と比べてんのか」と。少なくとも、今回のゴジラはある時期に照らし合わせればまごうかたなき怪獣映画、ある時期の怪獣映画の子供が喜ぶんならなんでもあり感とユルさを体現していると言えましょう。

 問題があるとすれば、「ガイガン」がかつてそうであったような「量産されたゴッタ煮娯楽の中の一本」でなく、とりあえずの一区切り、最終作、として送りだされたことと、予算をこれまでのゴジラ映画で最大に使ったことでしょう。こういう水準のものが毎年毎年低予算で送りだされ、時折「ヘドラ」のように異様な作品が作られてしまう、というような状況が、たぶんゴジラ映画にとって一番しあわせなのではないでしょうか。しかし90年代から映画はイベントとしての側面を帯びてしまい、入場料も高騰し、気軽に入れる娯楽ではなくなってしまいました。観客もそれなりものを賭けて劇場に脚を運ぶわけです。こういう状況下では「楽しい、軽い、子供が喜ぶ、低予算の」ゴジラ映画を毎年送りだすということは不可能です。

 はっきり言って、悪い映画ではないと思います。少なくとも私は中途半端に重かった「GMK」よりずっと好きです(ガメラ3部作からずいぶん後退したなあ、という印象しかなかった)。なにより、劇場で子供が退屈していなかった。作り手が面白いものを作ろうという意思が画面からみなぎっていますし、それがウザいという人もいるでしょうが、最近のメカゴジラの何とも中途半端なロボットアニメっぷりにくらべれば、単純に画面を面白くしようという意思が上映中ずっと続いているだけでも、近年のゴジラ映画にはなかったことです。私だけでしょうか、子供が退屈していないゴジラ映画をはじめてみたというのは。少なくとも、私はここ数年のゴジラ映画は退屈したガキが映画館内をうろつきまわったりお腹減っただのトイレだのうるさくてしょうがなかったのですが、この「FINAL WARS」を見に行ったときは、劇場を埋め尽くす観客(これも実は、ここ数年のゴジラで観ていなかった光景です)の大半である子供達は、食い入るようにスクリーンに見入っておりました。

 ただ、繰り返しますが、こういう「ゴッタ煮」の、しかも「そこそこに楽しい」映画がレギュラーに制作されなかったことに、ゴジラの凋落があるのではないでしょうか。こういう水準の作品がコンスタントに作られつつ、時に「GMK」のような作品もある、それを望むのは贅沢というものでしょうか。

 ただ、ここ数年の子供をなめ腐った(「GMK」は除く)ゴジラ映画にあっては、これはひさしぶりに子供が観て楽しい、いい映画だと言えるでしょう。

 え、子供はいいからお前の感想を聞かせろ?えっと・・・

 すみません、プログレに悪意はないんですけど、キースのエンディングテーマは物凄くツラかったです。「レディホーク」のDVDを買って、わくわくしながらデッキにかけたら、音楽がアラン・パーソンズだったのをすっかり忘れていて、ヘボいシンセメロが流れはじめた瞬間やるせなくなり、80年代との和解は不可能である、と思い知ったときのツラさ、寒さ、やるせなさに限り無く似た感情に襲われ、子供が誰1人立たない幸福なエンドクレジットの最中ひとり身をすくめておりました。ELPファンの方、ご免なさい。

2004年12月05日 伊藤計劃

引用:http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/200412