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伊藤計劃記録 はてな版

『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』の劇場アニメ化を記念して、伊藤計劃氏の生前のブログから精選記事を抜粋公開します。

シックス・センス(1999)

 アメリカでは無茶苦茶ヒットしたこの映画ですが、内容はかなり地味です、はっきり言って。でも実は、ホラーと見せ掛けて涙腺を緩ませる感動作だったりする。

 主演はブルース・ウィリス。今回は怒ったり泣いたりの全くない地味な演技ですが、はっきりいってその方が安心して観ていられます(「アルマゲ」のブルースなんてクサすぎて観てられなかったもんね)。ブルースに治療を受ける少年はハーレイ・ジョエル・オスメント。この子、他にも「フォレスト・ガンプ」とか出ていたらしいんですが憶えてません。が、この映画のこの子はエピソード1のジェイク・ロイドのクサい演技なんか目じゃないほど上手いです。

 監督は新鋭M・ナイト・シャマラン。脚本兼任の作家形監督ですが、思い入れに走ったりせず、小綺麗にまとめる能力はただものじゃないかも。

 

 マルコム・クロウは小児精神科医。虐待や孤独の蔓延する子供の心の世界を覗き込み、癒してゆく仕事を選んだ男。その長年の努力が認められて、彼は市長からも表彰される著名な精神科医となった。その市長からの表彰状を前に、妻と祝いのワインを明けていた夜、彼のアパートにひとりの男が侵入した。マルコムの前に現れた彼は、ブリーフのみを身につけ、右手には銃を持っていた。

 その青年は、かつてマルコムが治療にあたった患者だった。銃を持ち、怒鳴り声をあげる恐ろし気な外見とは裏腹に、彼の瞳は怯えていた・・・心の底から助けを求める、少年の瞳だった。

 しかし、彼は発砲した。「先生は僕を助けられなかった」と、その言葉を遺して。マルコムは腹部を撃たれ、ベッドに倒れこむ。彼は直後に自分の頭を吹き飛ばした。

 妻の叫びを聴きながら、マルコムは意識を失った。

 1年後、あの事件でマルコムは深く傷つき、その心の傷からか、妻との間に溝ができたようで、彼女は話し掛けても何も答えてくれなくなっていた。そんな彼が今回治療することになった少年・コールは、その聡明さとは裏腹に、誰にも心を開かず、友だちも居なかった。

 最初はかたくなに心閉ざしていたコール。しかしマルコムは辛抱強く彼とコンタクトし、友だちになることに成功する。両親の離婚から来る孤独感か?学校での人間関係か?マルコムは少年の心を癒そうと努力するが、少年は決して話さない秘密を持っていた。

 ある日、コールの同級生の誕生パーティで悪戯され、暗い部屋に閉じ込められてしまったコールは恐慌状態に陥る。いつも何かに怯えているようなコールの瞳は、さらに追い詰められすでに限界に達していた。その瞳に、マルコムは深いショックを受けた・・・あの、自分が助けることが出来なかった青年の瞳を、マルコムはコールの中に見い出していた。半ば嗚咽気味に、マルコムはゆっくりコールに語り出した。
「君を助けることができれば、あの時、僕が助けることができなかったあの子も助かる」

 マルコムは精神科医からは話すことのない、自分自身の心をコールにそう語った。コールは遂に、マルコムに完全に心を開き、今まで誰にも話さなかった自分の秘密を語り始めた。

「死人が見えるんだ」、と。

 

 さて、この映画は一応ホラー映画ということになっていますが、舞台となったフィラデルフィアの歴史的な雰囲気もあるのでしょうか、本当に地味に上品に作られているので、ホラー苦手な人も(血とか内蔵とか出てくるわけではないので)安心して見ることが出来ます(なんといっても全米4週1位ですから、そんなにグロい作品のはずありませんね)。

 ホラーの種別としては、一応「幽霊話」ということになります。少年コールが「見えてしまう」幽霊が、映画の「怖い」要素ですが、えー、確かにグロかったり、痛かったりするようなホラーではないんですが、

 かなりビビりました。

 いや、映画ファンとして観れば、映画の演出としてはかなり基本的なテクニックを使っているのですが、分っていてもやっぱり怖い。「家の中に誰かがいる」「振り向くと誰かがいる」この映画の怖がらせ方は基本的にこの2パターンだけで、その二つも演出的には実は一つのテクニック、つまり全編にわたって、カメラが素早くパンするとそこに死人が立っている、というカメラテクニック「だけ」で怖がらせているのですが、アメリカの平均的なアパートメント住宅の狭さや、特に廊下を上手く使っていて、廊下に幽霊が立っているビビり感はかなり強烈です。私はあんまりホラー映画で怖がったりしない体質なのですが、この映画は久しぶりにビビりました。

 実は、死者の特殊メイクや、カメラワーク、死者と絡めた部屋の使い方など、かなりキューブリックの「シャイニング」(個人的には『ホラーで一番カッチョイイ映画』)に似ている部分があります。少年だけが幽霊を見る、という構成上の類似点を制作側が意識したのかどうかは分りませんが、怖がらせるテクニックは「シャイニング」を大いに参考にしているようだと、私は思いました。特に(旦那に虐待され死んだと思われる)女性の幽霊がコールに迫ってくる場面などは、(カメラが主観視点ということもあって)「シャイニング」の風呂場から歩いてくる女性の幽霊のシーンまんまです。映画ファンがこの映画の「シャイニング」からの引用を見ると、キューブリックのテクニックの偉大さが確認できるという副産物もあるかもしれません。
 ただ、導入がかなり丁寧で抑えた描写の積み重ねなので、ホラーだけ期待すると序盤はかなり退屈かもしれません。コールの心の動きや、マルコムの傷ついた心など、心理描写を丁寧に、地味に積み重ねていくので、ホラーというよりは人間ドラマの映画に近いと思います。

 そして、このドラマは実は感動へ繋がるドラマなのです。中盤、コールにマルコム医師が「君を助けることができれば、あの時、僕が助けることができなかったあの子も助かる」と自分の物語を語るシーンなどでは、泣き虫の私は泣いてしまいましたし、結末もしみじみと感動させてくれるものになっています。ホラーでありながら同時に感動の物語でもあるという一見不可能な組み合わせを、このシックス・センスは極めて自然なやり方で実現しているのです。この点は今まであまりなかったタイプの映画かも知れません。

 その「感動の」エンディングですが、全編地味に展開するこの物語からは想像もつかない、物凄くハデなオチが仕掛けられています。いや、完全にこの監督に騙されました、私。ホントやられましたわ。これを話してしまうとネタバレどころの騒ぎではないので話す訳にはいかないのですが、うわー、マジで誰かに話したくてしょうがないわ。

引用元:「Spooktale」内「Cinematrix」第31回